行政書士を廃業をしてから、生き方や考え方が変わりました
行政書士事務所の運営は難しい
今から3年前に行政書士事務所を開業して、多分、うまく行く算段でけっこう気前よく色んなものにお金を使ってしまいました。
実際にはその行政書士事務所はうまくいくことはなく、2年の間、ほぼセミリタイアしたアラフォー男子のような暮らしをしてました。
士業であることで、得体の知れない見栄があらわれる
もちろん、きちん開業届も出した個人事業主でしたので、名刺もたくさん作りましたし、職印も作って、ホームページも自作しました。
新聞広告へチラシを入れたり、キャッシュレスに対応しないといけないから、STORES決済を導入したり、小規模ながら、事業に対してはわりときちんと向かいあっていました。
あとは商売のセンスというか、そういうものがあれば上手くいったのかもしれませんが、その頃は、そういった周辺を一つ一つ、それらしく整えるのというのが、嬉しくて、その都度、その都度、思い切り良く、支出していたと思います。
不安に対する支出になんの疑いも持っていないのは、ある意味で宗教です
他人から借りてきた考えのもとで事業を開始したのかもしれない
行政書士で失敗するまでは、大きく振り込んで、大きなリターンを得るという考えが強かったと思います。
それは東京で暮らしていた時に付き合いがあった人々がわりとそういう人種の人々が多かったからです。
服でもいちいち高いものを着てみたり、松竹梅で選べる食べ物ならとりあえず松を頼んだりするような人が多くて、僕も無駄なものに惜しみなく持っているもののほとんど投じるような姿勢がないと人生が開いていかないのではないかと思っていました。
占いに頼る人はどことなく自分に自信がない
今思えば、それはきっと自分自身に自信がないから、そういう振る舞いで、人生が大きく好転していくことを望んでいるというどこか他力本願な若者の様な。
商売人が酉の市で熊手を買うような。
不安に対する支出になんの疑いも持っていないのは、ある意味で宗教です。
金に執着して、自由に執着して、迷い込んでしまった日々
金は追えば、逃げる
事業が上手くいかない時の人間の頭には終始、そういう風な金銭的充足しかないのです。
だから金に執着して、その執着を否定するかのように、更に意味なく支出(浪費)するんです。
とにかくこの支出を続けていたら、そのうち大きなリターンが来るという迷信に近い教えをきちんと守っていました。
今ここで、ケチったら、その先で大きな利益を逃すことになるかもしれないという祟りに恐れるような心境が個人事業主の僕にはありました。
金を手放す、執着を手放す、廃業する
それはまるで毎日、ラジオの占いかなんかを聞いて、運気を上げるための課題を、疑うことなくこなすような滑稽さを、自らの事業にもなぞらえていたようなものです。
もはや呪いです。
言い換えれば、僕は自由を得るために会社をやめて独立開業して、自由になったが、その自由に執着してしまい、事業を成功させる為の雛形を追ってしまい、結局、まったく自由が利かなくなり、そこから再び自由になりたくて、それまで自分が執着してきた事業を手放すことになった。ということです。
下記の記事で行政書士を廃業した頃のことを書いています。
学校給食調理員の仕事で、大切なものを見つける
転職先は学校給食調理員
現在、僕は両親の介護をしながら、小学校で給食調理員をしています。
残念ながら思い描いた自由からは程遠いですが、介護と給食からは40代男性では得難い幸福を教えてもらっています。
僕がこのブログで書こうとしていることはお金のために生きる自分と、お金より大事な何かのために生きる自分を確立するためです。
頼りがいのあった母が認知症になった
母が認知症になったときに、僕は最高にこの世の終わりのような気分になりました。
冬の病院の駐車場で一人、涙が溢れてきて、どうしようもありませんでした。
下記の記事で、母の認知症を受け入れるまでのことを書いています。
お金を稼ぐことより、お金を守ることが大事
あの日から、僕は一人で生きていく準備をしているのだと思います。
身を削って、お金を稼ぐことより、今あるお金を守って、自分の身を守っていこう。
そして心を何より大切に生きていこうというのが、最近のライフスタイルです。
とてもシンプルなお金についての話。
僕は母の働いている姿が好きでした
母親のいた風景
給食を毎日、作っている間に僕はいつもデイサービスにいる母のことを考えています。
そして一緒に働いている同僚は皆、それぞれが母親で、大切に子供のことを考えて働いている人たちです。
だから今、僕が見ているのは、元気だった頃の僕の母が僕を大切に育ててくれた風景です。
これからも母と暮らしていく
僕は母の働いている姿が好きでした。
工場の昼休みにいつも工場の制服のまま自転車に乗って帰ってきて、昼ごはんを食べさせてくれた母を僕は今でも覚えています。
認知症が進行して、一つずつ出来ることが少なくなっていく自分に不安で泣いている母も忘れられません。
以下の記事で、小説家の山口恵以子さんの『いつでも母と』という本について書いています。
言いたいのは、これだけ
認知症になったらおしまいだと思ったときもありましたが、ぜんぜんそんなことはありませんでした。
僕はもう3年以上、母と父と、暮らしています。
だから、心配しないで大丈夫だよ、と大切な人が認知症になった知らない誰かに言いたい。
そして、まだ大丈夫、まだ大丈夫と僕は毎日、自分に、母に、語りかけている。
もちろん父も元気にしています。
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