介護申請をする明確な判断基準と、第三者として専門家の必要性について

目次

介護申請をためらった理由と、介護申請の判断基準。

母の認知症に戸惑う日々

いよいよ介護がはじまるという覚悟を決めてからも、介護申請をするまで1年以上かかりました。

母が認知症を発症したことをなかなか受け入れられないうえに、仕事も自分の裁量で出来る自営業で、基本的に在宅していたので、何かあっても母のそばに自分がいるから、介護申請はまだいいだろうという気持ちがありました。

今では、この時の自分の考えが、母の認知症の進行を早めてしまったかもしれないと後悔しています。

しかし、当時は母の認知症が次のステージを迎えるのが怖かったのです。

とりあえず僕は在宅で仕事をしているし、買い物も僕が出来るし、炊事も僕が出来る。

洗濯は洗濯機をまわせば干すのは母がやってくれる。

風呂も温度調整までやってあげれば、まだ一人ではいれる。

それでも少しずついろんなことが変わってきていました。

介護保険制度は知っていても、介護サービスの内容まではわからない

介護申請をするまで時間がかかったのは、介護サービスのことを何も知らなかったのも大きな理由です。

介護保険の制度自体は調べ尽くしてある程度は知っていましたが、介護申請は実際にするのとしないのとでは、その前後での介護サービスへの考えや知識が大きく違います。

僕自身も介護申請をする前は、一人で父と母の食事や身の回りの世話をして、我流の介護で、家族としては上手く回っていると思っていたので、この段階で介護サービスに頼ったところで、父と母が今まで以上に幸せになれるとは思えなかったんです。

知らないということは、こういうことなんだと今では思います。

家族の負担を減らすことばかりに焦点が当てられるけど。

要介護の人がデイサービスへ行くことは、僕自身(=介護する側の人間)の負担を軽減するためのものだと考えていました。

周囲が僕に父と母をデイサービスへ行かせるように薦めるのは、あくまでも僕のことを考えての提案だと感じていました。

僕には両親の二人がデイサービスへ行きたがるとは思えませんでした。

行きたがらない人間に無理やり、デイサービスへ行くように懇願するのもこれまでの自分の家族観にはありませんでした。

死ぬまで家で面倒を見たいというのは本音で、今でもそう思っています。

そしてそれは介護申請する前の本やネットから知識を集めた僕の想いでしかありません。

もちろん、勉強して、自分なりの答えは出しているのですが、その段階(介護保険の申請する前)ではただ僕自身の人間性でしかものは語られていません。

感情論で介護を考えることも必要だけど、それは絶対ではないということです。

つまりその段階で、僕は父と母を想うあまり、彼らの感情を慮って、デイサービスへ行くことは彼らに我慢を強いることで、僕の負担を軽減するためだけ(あるいは働き盛りの僕の生活を守るため)の、介護申請だと思っていたのです。

介護申請が必要かもしれないと思った段階で、申請するべき

介護申請をためらって、結果的に介護サービスを受ける時期が遅れたので、その躊躇った時間のぶんだけ母の認知症の症状が進行したのではないかと今では後悔しています。

それでも僕は周囲の人がある種の強引さで持って、その当時はさまざまな人との軋轢もありましたが、介護申請をしました。

その頃、僕は介護に疲れきっていて、仕事にもついていたので、何が何だか覚えていませんが、手続きが一つずつ進むにつれて、もしこれがうまくいったら少しは楽になれるかもという希望のようなものを持つこともできました。

ワンオペ介護の孤独

変わりゆく母親

父が毎日のように失禁をするようになり、トイレの掃除と洗濯をしないといけないが、母は以前とは違って、それを汚いから私はしたくないというようなことを言うようになりました。

どんなことでも自分が犠牲になって、3人の男の子を育ててくれた母が、父の世話をこれまでずっとしていたのに、ここへきて(認知症の発症後)、父に何かあると必ず僕を呼びにくるようになりました。

その時でもまだ僕は介護申請をしないで踏みとどまっていました。

理由はやっぱりまだ父も母も自分がそばで見てやるのが一番幸せなんだという思い込み(もちろん間違いではないが)があったのです。

今では、デイサービスに通って、規則正しい生活を送ることで、父や母にとってもいい影響が及び、身体的にも精神的にも幸せになれることを僕は実感しています。

もし、僕が仕事もしないで専属で父と母を見ていくのであれば、あのままでも良かったが、僕は家からほとんど出れない状態になっていて、自分の事業もうまく行かないようになりました。

2022年9月に僕は行政書士を廃業しました。

冷静に考えて、父と母の年金だけで食べていくわけにはいかない。

それでも介護申請をしないといけないという考えは、差し迫って僕の頭の中にはなかった。

なんとなくまだ大丈夫という気持ちがありました(不思議なくらい)。

誰にも相談ができる人がいない現実

もし僕のそばに介護について何か一つでも相談できる人。

例えば現在の僕のような人がいたら、もっと色々と相談に乗ってくれるだろうなと思います。

その頃、僕は友人や兄弟に介護が厳しい話はそれなりにしていたのですが、誰一人僕のことを助けてくれませんでした。

というか、介護を経験していない人に介護のことはわかりません。

僕が今、もし身の回りに誰か介護で困っていて、身動きできない人がいたら、やっぱり何か助けてやることができると思います。

もちろん、介護の渦中にいる人は過敏になっているので、僕が経験したことをただ言いたいだけのようにいろんなことを指南することはしないように、何か力になりたいという気持ちを示すだけですが。

そういう状態が半年続きました。

経験者だからといってアドバイスはしない方がいいと、これも僕の経験から感じていることです。介護で困っている人が、相談するべき相手は、行政の窓口です。そこへ最短で行ける動線をつくってやるのが本当ですが、これもまた難しいというのが、介護に感情があるからです。

母の症状が少しずつ、世間に露呈されていく

典型的なアルツハイマー型認知症の症状

秋から冬、正月を迎えて、真冬の2月に母が、親戚の叔父に「ちょっと今から迎えにきてくれないか」と電話をしました(2022年秋〜2023年春)。

自宅にいながら、「家にもう帰る」と言い出すのは、認知症(アルツハイマー型)の典型的な症状ですが、とりあえずそれに初めて出会う人は、とにかくびっくりするというか、いきなりお前とこのオカン「頭おかしいぞ」ということになる。

下記の記事で紹介している本を読めば認知症のことを知ることができます。

親族は口出しするだけで、なんの意味もない存在です

僕はその症状をしばしば見てきていたので、そばにいるのは辛かったけど、なだめるとおさまっていくので、なんとかやり過ごしていたのですが、親戚はそんなわけにはいきません。

彼らは僕を呼び出して、まるで説教をするように「施設へ預けろ」的なことを言いました。

そして、兄二人(東京で暮らしている)を呼び出して、なんとかしろよというようなことを言いました。

介護保険申請の手続きをはじめるまで

社会福祉協議会の抜き打ち調査がはいりました

僕はこれまでいくつか困っていることを親戚にも兄弟にも伝えてきましたが、真剣に相談に乗ってくれなかったのに、母の奇妙な行動には過剰に反応して、すぐにでも社会福祉協議会へ行ってこいというようなことを言いました。

僕は半年前から事業を廃業して、小学校の給食調理員として働きに出ていたので、時間がありませんでした。

幸い、3月中頃から学校が春休みになるので、その時期に介護保険申請をするから、それまで待ってくれということで、親戚一同には話していました。

けれども誰も僕の気持ちを察してくれる人はいませんでした。

僕が働いている留守の間に、市の職員(福祉相談室みたいな部署の)が家にやってきて、うちの調査をしていきました。

僕がそのことを知らないで、いつものように夕食の用意をしていると電話がかかってきて、昼間にお宅にお邪魔して、ご両親を様子を見せていただいたが、ちょっとあまりにも酷いのでという話をされて僕は寝耳に水でした。

どうして家に来たのか僕が尋ねると、ある地域の人から通報を受けて、調査に来たとのことでした。

それはどうやらうちの親戚筋の人で、はっきり誰かはわからないけど、僕が待ってくれと言っていた誰かが、誰かに頼んで、社会福祉協議会へちょっとあの家のこと見てきてくれへんかということだったらしい。

ある社会福祉士との出会い

電話口で僕はその社会福祉士の男性と大喧嘩をしました。

「勝手に家の中を見られて不愉快だ」というような話だったと思います。

しかし、彼もやはりプロなので、決して僕のことを見放しませんでした。

「もうお二人とも相当悪いです」

結局、僕は親戚に言ったことと同じことを社会福祉士の方に約束して、電話を切りました。

つまり春休みになって、仕事が休みになったら、必ず相談窓口に行くという約束をして。

その社会福祉士の方と看護師の方が家を訪問した時、父も母もいたけど、父はズボンの前が濡れていて、母は小さい子供が家にいるからというようなことを言っていて、「もう二人とも相当悪いです」というようなことをそれとなく僕に言いました。

助けてくれたのはその社会福祉士の方、1人のみです

わかりますか? 

僕は結局、自分の意志では介護保険申請へと動けなかったのです。

僕は親戚の過剰な善意というか、ある種の悪意の乗っかったおせっかいに助けられた形で、介護の扉を他人からこじ開けられたようなものでした。

信頼のおける専門家を見つける大切さ

僕は春休みまで待てずに3月の初旬に相談窓口へいきました。

その時、初めて会った社会福祉士の男性はとても穏やかで、電話口で失礼な物言いをした僕に、何事もなかったように接してくれました。

僕はその場で電話での非礼を謝罪して、その日に介護保険申請の話を進めることになりました。

強制的に家庭に介入することの必要性

あの時、彼に会っていなかったら、今頃、こんな風な日常は訪れていないだろうなと思います。

介護保険申請までにもっと色々あったと思いますが、僕が今、思い出すのは、抜き打ちの家庭訪問に僕が完全に理性を失ったことでした。

僕は二人の家族を必死で守っているつもりでいたのです。

そこへ第三者がいきなり入ってきて、家が酷い状態だと言われたことで、その過酷な環境を断ち切ることができました。

家族が認知症になったら、それで終わりではありません

3月末に介護保険申請の見込みがたち、デイサービスに父と母、二人で通うようになりました。

父、母二人まとめて介護申請というのもその社会福祉士さんの提案でした。

母が多分、デイサービスに行きたがらないだろうから、父とセットで介護保険申請をするというのが今、思うと完璧な提案だったと思います。

僕一人ではそんなこと考えもできなかったですから。

下記の記事では、僕と母の認知症とのこれまでを書いています。

認知症になってからも母は母です

その頃から、今でちょうど1年経ちますが、父も母もその頃より元気になっています。

母の認知症は若干進行したような気もしますが、僕自身も1年経って、いろんなことを経験してきているので、なんとかやってこれています。

認知症はなったら終わりだと思ったこともありましたが、決してそんなことはありません。

僕は少なくとも去年の今頃より3人で幸せに暮らしています。

認知症になっても感情が残るということを脳科学者の恩蔵絢子さん言っています(以下記事参照)

【追記】その時から更に時が流れて

【追記】の項を書いている現在は2025年9月です。

母も父もまだ元気にデイサービスに通っています。

もちろん、母のステージはかなり上がってきて、介護保険申請をした頃より、更に何も自分ではできなくなりましたが、体調は悪いところはありません。

さまざまな苦難を経て、今なお彼らと家族でいられることは喜ばしいことです。

介護全体の流れはこちらにまとめています
認知症の母を6年在宅介護する中で経験したこと。介護申請から、介護費用のことまで。

デイサービスに行くことで、いろんなことが改善されます

介護生活が本格的に。父と母、デイサービスへ通う。

結果的にはデイサービスへ週3日、2人が通ってくれるようになったことで、少しずつ介護生活は変化していきました。

最初はそれで僕自身の負担が軽くなるだろうというか風に考えいましたが、正直、僕自身の負担が軽くなるのは、それから1年後のことです。

介護申請をしてからの日々は、さまざまなことで僕は労力を使うことになります。

煩雑な日々というのが最もふさわしい表現だと思います。

ただデイサービスに行くことで、父も母も、元気になっていくのは目に見えてわかりました。

父の状態がなかなか安定しない1年目のデイサービス

父は慣れない朝起きで、一日中、外での活動があるので、疲れて帰ってきて、持病が悪化したりして、夏から秋、そして冬の間は、父の体調の変化で、僕の職場には何度もケアマネジャーさんやデイサービスの職員さん、そしてヘルパーさんから連絡をもらうことになり、その度におおきなため息をついていました。

母は要介護2と父より介護度が高いですが、正直、あまり手がかかりませんでした。

2025年春に介護保険の要介護状態の区分変更をしたので、現在は父も母も要介護3です。

だから母には父の付き添いで行ってあげてという風に僕が説明して、お願いしていたから、特に抵抗もなく、デイサービスの車に乗るのですが、やはり最初の数週間は帰宅願望があり、先方で認知症の症状をよく見せていたのだと聞きます。

しかし、おそらく数日で、慣れると思いますからというデイサービスの職員の方が言うのを信じて任せていました。

父に関しては介護の初期にとても苦労をしました。

新たな負担が、次から次へとやってくる

デイサービスへ二人を送り出すことでの僕の負担は、正直、家で一人で二人を介護しているときは違う種類の負担がありました。

二人分の着替えやタオルを毎回用意しないといけないし、洗濯物を一気に増えました。

そして僕がデイサービスとのやりとりで最も気を揉んだのが、父のオシッコの問題でした。

父の失禁は毎日ではないですが、時々あり、その時点で僕の認識は間違っていたのですが、デイサービスの職員の方やヘルパーさんからの要望がリハビリパンツを使用してほしいということでしたが、僕はそれを父に習慣つけることで介護のステージが一段上がるんじゃないかという認識をしていて、そのことで終始、介護関係者からの電話を切る度に暗い気分になりました。

今でも介護関係者から電話が鳴るたびに心拍数が上がるのは、その頃の嫌な経験が残っているからだと思います。

おむつ支援(=『高齢者寝たきりオムツ支援』)を利用

リハビリパンツがどういうものなのか、わからなかった

結局、リハビリパンツを履かせることにしたのは、僕が考えているより父の失禁の率が高くなってきて、その頃、ちょうど持病の痛風の発作で1週間入院したこともあり、そのときにリハビリパンツの着用を認めざるをえない状況になったというのが正確なところです。

でも実際ところリハビリパンツを履かせてくださいと施設の方から言われても、すぐにはそれがどんなものかはわかりませんでした。

介護職に就いている方や、家族の介護経験のある人なら、リハビリパンツと言われたらすぐにイメージができるのですが、僕にはリハビリパンツは自力でトイレに行けない人が使用するオムツのようなイメージがあったのです。

僕には父はまだその状態にないと思っていたから、判断ができませんでした。

もし、実物を見て、それがオムツとは同じではないことを知っていたら、もっと早くリハビリパンツを導入したと思います。

実際に、リハビリパンツを買ってみて腑に落ちる

それで、とりあえず一つ実物を手に入れて、パッケージを見て、どんなものか知りたかったから、いつも施設で履かせてもらうものを調べたりして、買うメーカーとかを決めて、ドラッグストアに行ってみたりしましたが、リハビリパンツもそんなに安いものでもありませんでした。

それでもリハビリパンツを選んで、買うというのを経験した後、少し気分がスッキリしました。

また一つ自分が成長したような気分になりました。

どうしてかわかりませんが、そう感じました。

多分、リハビリパンツのコストと父の快適さとかを考えているうちに、とうとう腑に落ちたというか、おそらく納得したんだと思います。

これは自分の為ではなく、父の為であること。

リハビリパンツを履かせることで、父の介護が改善した

僕が難色を示したところで父の失禁が改善されるわけでもないのだから、ここは素直に周囲の世話になっている関係者の意見を聞き入れよう。そう思ったのです。

介護にとっては自分が納得してから、前へ進んでいかないと行けないというのも日々、感じていることです。

父は結局、機嫌よくリハビリパンツを履いています。

「坊(僕のこと)にパンツ履かせてもらうようになったら俺もおしまいやなあ」と上機嫌に笑いながら、日々の介護が滞りなく進んでいっています。

高齢者寝たきりオムツ支援(松阪市)

それから数ヶ月、ドラッグストアで一番、枚数が入って、お買い得なのを、お決まりの銘柄として買うようにしていたのですが、あるときケアマネージャーさんから『高齢者寝たきりオムツ支援』というプログラムが市の高齢者支援課にあるので、申し込んでみたらどうかという教えをいただいたので、申請してみました。

このおむつ(リハビリパンツ)支援の制度は、使用するにはいくらか資格があるのですが、介護申請していて、普通の年金暮らしの住民税非課税世帯であれば、申請が通るので、調べてみてください。

自分を含めた3人の世帯だと父に住民税が課税されるので、利用するには世帯分離をしないといけないということもありますが、とりあえずそういう制度があるのは知っておいた方がいいと思います。

今はその制度の恩恵を受けて、毎月分、リハビリパンツを頂いています。

本当に介護に対する施策は日本は万全の国だとつくづく感じます。

リハビリパンツはこういうのを買うといいです

リハビリパンツは最初はどんなのを買えばいいかわからないものです。

こういうのを買えば間違いないというものがあればいいのですが、正直、どれも同じに見えます。

父にどのメーカーの履き心地が良かったかと尋ねられればいいのですが残念ながらできません。

とりあえず僕の父が利用しているものを紹介しておきます。

参考にしてください。

ドラッグストアでもしっかり値段を見てから選んでください。 

介護全体の流れはこちらにまとめています
認知症の母を6年在宅介護する中で経験したこと。介護申請から、介護費用のことまで。

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