認知症の母と僕、2025年1月の現状
母の認知症の発症から5年目です。
2025年を迎えて、半月が過ぎました。
新しい目標なり、新しい挑戦などを掲げるほど変化のある生活を送っていません。
が、しかし、毎回、言うことですが充実しています。
母の認知症が発症してから、丸4年が経ち、これから5年目を迎えています。
僕自身はそのことがとても感慨深いのです。
2021年、母の認知症の発症。思えば遠い出来事です。
2021年の1月に母は大腸のポリープをとるために入院しました。
その時のドクターの指摘ではじめて認知症であることを僕自身が自覚しました。
その時までは、そういう傾向はあったけど加齢のせいだと、認知症を認めようとしていませんでした。
まずは家族が認知症を自覚しないといけない
しかし、そのドクターの指摘の日を境に、母が認知症だということを自覚しました。
「1度、脳神経外科か脳神経内科の専門の病院で診てもらった方がいいですね」
とドクターが言いましたが、行くまでもなく母が認知症であることはわかりました。

脳神経外科にかかる
もちろん、母が退院して、2ヶ月ぐらいした5月に近所に出来たばかりの脳神経外科の専門医にかかりました。
その時はまだ初期の症状でしたが、母も物忘れの自覚があったので、とりあえず病院へ行くことには抵抗もなく連れていくことができました。
その時の診断の結果は特に認知症という診断名では言われませんでした。
「とりあえず、このまま様子を見ていきましょう」
これからどうしていけばいいでしょうか?
専門医のドクターは明言を避けましたが、母が認知症であることは一目瞭然でした。
僕もあえて認知症であるかどうかを訪ねませんでした。
「これからどうしていけばいいでしょうか?」
「まあ、普通に生活をしていってくれたらいいです。運動と健康的な食事。あとは何にでも興味を持って・・・」
母は毎日、散歩して、健康的な食生活をしていたにもかかわらず認知症になったのですが、遥か昔を辿れば、母は若い頃から耳鳴りがして、肩こり、血圧も安定していなかったとか・・・考えたりキリがありませんが、原因まで僕はわかりません。
ワンオペ介護の孤独。介護離職しました。
介護離職しました。事業は廃業、アルバイトも辞めました。
母は普通に暮らすことはできましたが、僕は普通に暮らすことができませんでした。
とにかく頼りがいのある母が認知症になることを僕は頭では理解していたとしても、精神的にまだ受け入れられてなくて、生活に関することのさまざまなことが落ち込んでいきました。
僕は自宅開業していた行政書士の仕事も辞めて、副業でやっていたスターバックスコーヒーのアルバイトも辞めました。
要するに介護離職して、母に寄り添うことを決めたのですが、誰一人として頼る人間がいなかったので、何もかも立ち行かなくなりました。
余談ですが、以下の記事で当時のスターバックスのアルバイト経験について書いています。

僕自身の精神状態が最大限に悪化していたんだと思います
その間も、母にはなんのケアもほどこされることなく、日が過ぎていきました。
認知症は何もケアしないと、どんどん進行していきます。
僕は脳神経外科の初診から数回、母を連れていったきり、通院することを辞めました。
これまで母がずっと面倒みていた父の症状も悪化してきたので、八方塞がりになり、父の通院も辞めてしまいました。
僕自身の精神状態が最大限に悪化していたんだと思います。
ワンオペ介護の孤独
今、思うとこうなる前に、介護申請をしないといけなかったのです。
認知症の軽い段階で、介護申請をすることで、もう少し早い段階から生活は改善していったと思います。
母と父の二人を、仕事を辞めて、たった一人で面倒をみるというのは今、考えたら地獄です。

介護休業や介護休暇の必要
しかしながら、介護離職してまとまった時間を意図的にとったことは自分では正しい選択だったと思います。
本当は離職せずに動けたらよかったのですが、やはり仕事をしながらだとできないことも多く、今のような介護の体制を整えるまではわりと色んなものを犠牲にしてきました。
もちろん、介護休業や介護休暇という制度はありますが、今のところそういう言葉があるだけで利用はほぼできませんし、おそらく職場の理解は得られません。
まだまだ社会は介護に対しては民意は追いついていません。

介護申請を経て、介護生活の安定、レスパイトケアの難しさについて
介護申請までは大変でしたが、介護申請してから改善しました
それでも介護申請をして、本格的な介護の体制が整うと、日本の介護制度には感心するくらい介護生活が向上します。
僕自身も、介護申請まではわりと困難を重ねましたが、なんとか介護申請をして軌道に乗りました。
うちは父と母の同時の介護申請というわりと稀なケースなんですが、二人でデイサービスに通うという選択は僕の両親の性格から考えると最適な方法だったと思います。
以下の記事で、介護申請した頃のことを書いています。


僕自身の関心は常に認知症の母の今後です
介護申請をして1年、2年と時を経て、現在3年目を迎えています。
介護申請をせずに在宅の介護を2年を合わせると介護生活も5年目です。
僕自身の関心は母の認知症がどのような方向へ進んでいくかが常にあります。
認知症を発症した患者がどこまで長生きできるのか
色々なものの本では、認知症を発症した患者がどこまで長生きできるかというものが書いてありますが、だいたいが認知症は緩やかに進行して、4年から8年で亡くなりますが、長い人では認知症になってから20年も生きたという人もいるそうです。
そういうことなので、僕は毎年、年月を更新して、安堵とさらに不安を募らせているのです。
以下に、その頃、参考にした本について書いています。

問題は僕自身の時間がだんだんと削られていくということです
2025年1月の現状は母はまだまだ在宅でデイサービスでの生活を続けられるほど元気です。
同じように父も週4回のデイサービスを母に付き合うことで、自らもとても健康的に暮らしています。
問題は僕自身の時間がだんだんと削られていくということです。
僕自身のレスパイトケアを考えていきたい
2025年は僕自身のレスパイトケアを少し考えていきたいと思います。
2021年の介護からずっと遠出はできていませんし、もう数年、夜出かけることができていません。
僕自身はもともと飲酒をしないので飲み会などは断る理由になるんですが、大事な友人との会食に出掛けられないと言うのは正直なところ辛いです。
介護を続けることで僕自身の人生が萎んでいってしまう
一昨年、昨年と父と母のデイサービスに通わせる暮らしになれることに全力を注いできた僕ですが、今年は、もう少し自分自身の人生を大事にするように考えていかないと。
そうしないとせっかく上手く設計された介護生活の意味がないと思います。
ここまで毎日、父と母が喜んでデイサービスに行って、充実して帰ってくる暮らしを長く続けることが今の僕の目標なので(もちろん、時にはくたばってしまえと思うときもあるが)、僕自身が萎んでいってしまってはいけないという立場に今はいます。
行政サービスに頼るのにも限界がある
しかしながら、母がデイサービスを週5日利用で、父が週4日利用で、送り出しのヘルパーさんを毎朝、利用している状況で、なかなかこれ以上のサービスを利用するというのは難しいと言うのが、実情です。
親族や兄弟にはあまり頼めないという事情もあるので、今のところ夜は必ず僕が家にいないといけないという状況が続いています。
もし、僕が好きなアーティストのライブにある晩、出かけたい時に今は利用できるサービスはショートステイしか思い浮かばない。
当事者からレスパイトケアを声高々には言えないものです
今年はショートステイを使って、遠出をしたいと思っていますが、今の未だ利用したことのに僕の気持ちだとやっぱり不安がある。
こういうのも含めて、僕自身に寄り添ってくれる人がそばにいてくれたらと思う。
実際、レスバイトケアなんて言葉があるけど、当事者からレスパイトケアを声高々には言えないものです。
誰かが僕の生活をみて、もう少し息抜きをしたらといって進めてくれるだけではなく、働きかけてくれるまでにならないと僕自身というか、介護者は自由にはなれないでしょう。
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