小説家の山口恵以子さんの『いつでも母と』という本から学べること

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誰よりも頼りになる母が認知症になりました

人生が大きく変わった

両親が70代の後半になって、要介護者になり、人生が大きく変わりました。

人生を航海と例えるなら、船が沈みかけるような大きな変化でした。

父についてはある程度、想定内でしたが、父のことをずっと世話をしてきた母が認知症になった時は、本当にくじけました。

母が母で亡くなってしまうんじゃないかという不安

どうしたら良いかわからないというより、これからやってくる認知症への恐怖です。

母が母でなくなってしまうんじゃないかという不安が昼、夜となく襲いかかってきました。

認知症は進行する病という一方的な知識だけが僕の中にあって、母のことをなんとかしてあげたいと思っても、どうすることもできずくじけました。

1年、2年、とても長い期間、沈みかけた船の中で暮らしていました。

介護にとって当事者以外の身内はあてにはならない

僕には兄が2人いますが、2人とも東京で暮らしていて、母が認知症になったということを話しても心配はしてくれても、彼らも自分達の生活があるから、何にもできません。

彼らが遠方からどんなに心を痛めても、母の認知症は治らないのです。

だから僕は彼らに恨みごとはいっさい言うことなく、いつでも見に来てくれとしか言っていません。

父と母は僕が面倒見るから

自分の暮らしと父と母の暮らしを守る

親戚の人間には僕が貧乏くじを引いたとか、色々言われるが、これが貧乏くじかどうかは、最後になってみないとわからないということです。

僕はわりと冷静に、自分の暮らしと父と母の暮らしを自分1人で守ることを少しずつ実践していきました。

自らの生活を犠牲にしてでも母のそばにいてあげたい

けれども沈みかかった船は、僕のキャリアにも及んでいて、両親の介護が必要になりはじめた頃に、自宅開業していた事業をたたむことになりました。

経営が上手くいかないということがありましたが、一番の理由は、経営に力を注ぐ気力のようなものが、一気に消えてしまったのです。

それぐらい母の認知症は僕のこころを小さく萎ませてしまいました。

誰でもそうではないでしょうか。

リリーさんのお母さんへの思いが一番大事なこと

僕は自分が一番好きな本としていつもリリー・フランキーさんの『東京タワー』をあげるんですが、あの中に書いてある母親に対する気持ちが人生で一番大事なことだ思います。

僕がまだ東京に住んでいる時、電話で僕の母がはじめて弱音を吐いたときに、僕は実家に帰って母と暮らそうと決めたのです。

今でこそドライに介護生活をこなしていますが、母の心細い姿を見るといつも涙が出てきそうになり、やはり最初の2年はこの大きな現実を受け入れることができませんでした。

山口恵以子さんの本との出会いが介護生活の転機でした

『いつでも母と』山口恵以子

小説家の山口恵以子さんの『いつでも母と』という本を書店で見つけたときに、胸を締め付けられるような思いになりました。

「そうか、いつか母を看取らないといけないのか」

そう思いました。

お母さんを見送るまでのメモワール

山口さんの本はずっと一緒に暮らしていたお母さんが、認知症になって、だんだん弱っていき、見送るまでのメモワールです。

僕は正直、その本の帯を見て、本の内容がどんなものかわかると、胸が締め付けれらました。

僕はこの本を読むのが最初はとても怖かったのです。

ここには僕の今後のことが書かれているはずだと思ったからです。

本に出会ってから胸騒ぎがおさまらない

その日は本を買わずに店を出ましたが、結局は数日後に同じ書店で、『いつでも母と』を買い求めました。

本を買わずに帰ってから、『いつでも母と』がずっと気になってネットのレビューばかりを検索していました。

本と出会ったときから僕の気持ちはもうしっかり掴まれていたんです。

この人の話を聞いてみたいと思った

認知症の母親を実際に見送った人、山口さんの話を聞きたいと思いました。

今、この機会を逃したらきっと後悔するとも思いました。

色んな事実を知るというのは、やはりそれと真剣に向き合う人には、ある種の怖さを含んでいます。

しかし、その怖さと立ち向かわないと、色んな事実を本当の意味で知ることができないと思います。

介護の一番辛かったのは、最初の3年間だった。

一番辛いときに心に響いた経験談でした

僕は山口恵以子さんの『いつでも母と』を読んで、母の認知症を受け入れて、本気でこれから母を守っていこうと思ったものでした。

僕が山口さんのこの本で一番、感じ入った箇所は、介護の一番辛かったのは、最初の3年間だったというところです。

どうしてかわからないのですが、僕は山口さんのこの一文で、妙に腑に落ちて、とても気持ちが軽くなったのを覚えています。

この生活がすぐには終わらないという安心感

その頃、僕は介護2年目の戦士で介護に疲れきっていた時期だったと思います。

あと1年、と思ったかもしれません。

あるいは急に母はいなくなることはないから安心したのでしょうか。

山口さんの生活の描写に共感ができた

本を読んで、山口さんとの境遇が似ていたのかもしれません。

もちろん、僕はまだ自分の天職をいとめていませんが、物書きになりたいというこころざしは山口さんがお母さんと暮らしている時のものとほぼ同じような感覚で持っていて、それは今も変わりません。

だから、一つ一つの生活の描写に共感ができたのだと思います。

僕自身も給食のおじさんをやりながら文章修行

実際、僕も給食調理員をやっていて、山口さんも食堂のおばさんをやっていたわけだから、僕自身はある種の彼女の後を追っているといっても過言ではないでしょう。

だから、本を読んで感じる山口さんの悲しみもとても身に染みて、いつかそのときが自分の場合も巡ってくるという風にも感じました。

人生を立て直すことができました

山口さんの『いつでも母と』を読んで以来、僕は少しずつ人生を立て直すことができました。

何よりまず自分の気持ちをしっかり持たないといけないということです。

このブログの他の記事でも何度も、僕は書いていますが、介護で一番大事なのは自分が強くなることです。

これは本当に痛感します。

この先のことは今後また散々と書いていきますが、介護認定を受けて、2人をデイサービスへ通わすところから、僕の介護生活の第二章が始まりました。

お金を守ること、家族を守ること、自分を守ること

介護にとっては、お金のことがとても大事

僕は今後の事業で使う予定だったなけなしの資金を全て投資へ回して、しばらくは自分の身の回りのお金というお金を守ることにしました。

そして、僕以外の2人の家族のことも守らないといけません。

家計を見直して、とりあえずしっかり食べて、体を動かして働こうと思いました。

身体の健康は心の健康。

もう一つ大事なのは自らの人生です

僕は僕自身を大切にしようとあらためて感じています。

僕自身が少しずつ健康になり、幸せに近づくと、母も父も元気になってきたような気にもなりました。

一つひとつ介護に関する課題をクリアにしていくたびに僕はたくましくなっていく自分を感じます。

僕は僕自身のためにコツコツと書いていきます

僕が山口さんの本を読んで勇気付けられたように、誰かが僕の現在を読んで、未来に何かいい方向へ導くきっかけになればいいと思い、このブログを書くことにしました。

まだまだ余裕なんてものはありませんが、平日の僅かな時間のぬって記事を書くこの暮らしが僕が自分のために作り出した時間なので、しばらくは頑張って続けていきます。

父も母も今日も元気にデイサービスから帰ってきました。

帰ってきてから、3人で食べる夕食は何ものにも変えがたいギフトだと僕は感じています。 

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