介護保険制度は知っていても、介護サービスの内容まではわからない
介護申請をするまで時間がかかったのは、介護サービスのことを何も知らなかったからです。
介護保険の制度自体は調べ尽くしてある程度は知っていたと思いますが、介護申請は実際にするのとしないのとでは、その前後での介護サービスへの考えや知識が大きく違います。
僕自身も介護申請をする前は、一人で責任持って父と母の食事や身の回りの世話をして、我流の介護ですが家族としては上手く回っていると思っていたので、今の段階で介護サービスに頼ったところで、父と母が今まで以上に幸せになれるとは思えなかったんです。
知らないということは、こういうことなんだと今では思います。
家族の負担を減らすことばかりに焦点が当てられるけど。
要介護の人がデイサービスへ行くことは、僕自身(=介護する側の人間)の負担を軽減するためのものだと考えていました。
周囲が僕に父と母をデイサービスへ行かせるように薦めるのは、あくまでも僕のことを考えてのありきたりの提案だと感じていました。
父のこともよく知っている。
母のこともよく知っている。
そんな僕には二人がデイサービスへ行きたがるとは思えませんでした。
行きたがらない人間に無理やり、デイサービスへ行くように懇願するのもこれまでの自分の家族観にはありませんでした。
死ぬまで家で面倒を見たいというのは今でもそう思っています。
そしてそれは介護申請する前の知識が本や知人から見聞したものしか持ち合わせていない僕の想いのようなものです。
デイサービスへ行くことへの偏見が、こういう思い込みを生む
もちろん、しっかり勉強して、思考して、自分なりの答えは出しているのですが、その段階(介護申請する前)ではただ僕自身の人間性でしかものは語られていません。
感情論で介護を考えることは必要だけど、それは絶対ではないということです。
つまりその段階で、僕は父と母を想うあまり、彼らの感情を慮って、デイサービスへ行くことは彼らに我慢を強いることで、僕の負担を軽減するためだけ(あるいは働き盛りの僕の生活を守るため)の、介護申請だと思っているのです。
介護申請が必要かもしれないと思った段階で、申請するべき
だから、介護申請を躊躇って、結果的に介護サービスを受ける時期が遅れたので、その躊躇った時間の分だけ母の認知症の症状が進行したのではないかと今では後悔しています。
それでも僕は周囲の人がある種の強引さで持って、その当時はさまざまな人との軋轢もありましたが、介護申請をしました。
その頃、僕は介護に疲れきっていて、仕事にもついていたので、何が何だか覚えていませんが、手続きが一つずつ進むにつれて、もしこれがうまくいったら少しは楽になれるかもという希望のようなものを持つこともできました。
デイサービスに行くことで、いろんなことが改善されます
結果的にはデイサービスへ週3日、二人が通ってくれるようになったことで、少しずつ介護生活は変化していきました。
最初はそれで僕自身の負担が軽くなるだろうというか風に考えいましたが、正直、僕自身の負担が軽くなるのは、それから1年後のことです。
介護申請をしてからの日々は、さまざまなことで僕は労力を使うことになります。
煩雑な日々というのが最もふさわしい表現だと思います。
ただデイサービスに行くことで、父も母も、元気になっていくのは目に見えてわかりました。
父の状態がなかなか安定しない1年目のデイサービス
しかし、父は慣れない朝起きで、一日中、外での活動があるので、疲れて帰ってきて、持病が悪化したりして、夏から秋、そして冬の間は、父の体調の変化で、僕の職場には何度もケアマネジャーさんやデイサービスの職員さん、そしてヘルパーさんから連絡をもらうことになり、その度におおきなため息をついていました。
母は要介護2と父より介護度が高いですが、正直、あまり手がかかりませんでした。
だから母には父の付き添いで行ってあげてという風に僕が説明して、お願いしていたから、特に抵抗もなく、デイサービスの車に乗るのですが、やはり最初の数週間は帰宅願望があり、先方で認知症の症状をよく見せていたのだと聞きます。
しかし、おそらく数日で、慣れると思いますからというデイサービスの職員の方が言うのを信じて任せていました。
新たな負担が、次から次へとやってくる
デイサービスへ二人を送り出すことでの僕の負担は、正直、家で一人で二人を介護しているときは違う種類の負担がありました。
二人分の着替えやタオルを毎回用意しないといけないし、洗濯物を一気に増えました。
そして僕がデイサービスとのやりとりで最も気を揉んだのが、父のオシッコの問題でした。
以前、少し書きましたが、父の失禁は毎日ではないですが、時々あって、もうその時点で僕の認識は間違っていたと今では思うのですが、デイサービスの職員の方やヘルパーさんからの要望がリハビリパンツを使用してくれということで、僕はそれを父に習慣つけることで介護のステージが一段上がるんじゃないかという認識をしていて、そのことで終始、介護関係者からの電話を切る度に暗い気分になりました。
今でも介護関係者から電話が鳴るたびに心拍数が上がるのは、その頃の嫌な経験が残っているからだと思います。
リハビリパンツがどういうものなのか、わからなかったから
結局、リハビリパンツを履かせることにしたのは、僕が考えているより父の失禁の率が高くなってきて、その頃、ちょうど持病の痛風の発作で1週間入院したこともあり、そのときにリハビリパンツの着用を認めざるをえない状況になったというのが正確なところです。
でも実際ところリハビリパンツを履かせてくださいと施設の方から言われても、すぐにはそれがどんなものかはわかりませんでした。
介護職に就いている方や、家族の介護経験のある人なら、リハビリパンツと言われたらすぐにイメージができるのですが、僕にはリハビリパンツは自力でトイレに行けない人が使用するオムツのようなイメージがあったのです。
僕には父はまだその状態にないと思っていたから、判断ができませんでした。
もし、実物を見て、それがオムツとは同じではないことを知っていたら、もっと早くリハビリパンツを導入したと思います。
実際に、リハビリパンツを買ってみて腑に落ちる
それで、とりあえず一つ実物を手に入れて、パッケージを見て、どんなものか知りたかったから、いつも施設で履かせてもらうものを調べたりして、買うメーカーとかを決めて、ドラッグストアに行ってみたりしましたが、リハビリパンツもそんなに安いものでもありませんでした。
それでもリハビリパンツを選んで、買うというのを経験した後、少し気分がスッキリしました。
また一つ自分が成長したような気分になりました。
どうしてかわかりませんが、そう感じました。
多分、リハビリパンツのコストと父の快適さとかを考えているうちに、とうとう腑に落ちたというか、おそらく納得したんだと思います。
これは自分の為ではなく、父の為であること。
リハビリパンツを履かせることで、父の介護が改善した
僕が難色を示したところで父の失禁が改善されるわけでもないのだから、ここは素直に周囲の世話になっている関係者の意見を聞き入れよう。そう思ったのです。
介護にとっては自分が納得してから、前へ進んでいかないと行けないというのも日々、感じていることです。
父は結局、機嫌よくリハビリパンツを履いています。
「坊(僕のこと)にパンツ履かせてもらうようになったら俺もおしまいやなあ」と上機嫌に笑いながら、日々の介護が滞りなく進んでいっています。
高齢者寝たきりオムツ支援というプログラム
それから数ヶ月、ドラッグストアで一番、枚数が入って、お買い得なのを、お決まりの銘柄として買うようにしていたのですが、あるときケアマネージャーさんから『高齢者寝たきりオムツ支援』というプログラムが市の高齢者支援課にあるので、申し込んでみたらどうかという教えをいただいたので、申請してみました。
このオムツ(リハビリパンツ)の制度は、使用するにはいくらか資格があるのですが、介護申請していて、普通の年金暮らしの住民税非課税世帯であれば、申請が通るので、調べてみてください。
自分を含めた3人の世帯だと父に住民税が課税されるので、利用するには世帯分離をしないといけないということもありますが、とりあえずそういう制度があるのは知っておいた方がいいと思います。
今はその制度の恩恵を受けて、毎月分、リハビリパンツを頂いています。
本当に介護に対する施策は日本は万全の国だとつくづく感じます。
リハビリパンツはこういうのを買うといいです
リハビリパンツは最初はどんなのを買えばいいかわからないものです。
こういうのを買えば間違いないというものがあればいいのですが、正直、どれも同じに見えます。
父にどのメーカーの履き心地が良かったかと尋ねられればいいのですが残念ながらできません。
とりあえず僕の父が利用しているものを紹介しておきます。
参考にしてください。
ドラッグストアでもしっかり値段を見てから選んでください。
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