認知症の母の徘徊がはじまった
母が1人旅に出た
今から2ヶ月前の7月11日、母が1人で遠出をしました。
遠出と言っても、隣の市区町村の本当に隣接する地域。
でも認知症の母が1人でそこへ行くことが、僕自身にとっては、大きな出来事です。
今でこそ母が1人旅に出たと言っていますが、その日はとても探して心配しました。
デイサービスにいかない日に起きた
それまでデイサービスには火曜日、水曜日、金曜日と週3回通っていました。
デイサービスには、父も一緒に通っています。
父は認知症ではありませんが、要介護1なので、父に母のことを頼んで、家を空けるわけにもいきませんが、それまでの僕の認識では、週に月曜日、木曜日の2日間は、まだ2人で家に居てもらっても大丈夫だろうというものでした。
徘徊する心配をしていなかったから驚いた
前兆のようなものがあったのがどうか考えますが、忙しい毎日の中で、わずかな変化は見つけることはできませんでした。
徘徊という言葉は使いたくはないですが、母のそれもやはり徘徊なのでしょう。
徘徊は突然、ある日、やってきます。
家に帰って気づいた異変。母の靴がない。
奇しくもその日は、僕の誕生日、父と母と3人でケーキを食べようと近所の菓子屋でケーキを買って、家に帰ったら、玄関に母の靴がありません。
家のソファで座ってテレビを見ている父に母はどうしたのか聞きましたが、話になりません。
「庭におらんか」とか、「車で出掛けたんちゃうか」とか、父も半分壊れているので、僕は「もうええ!」と言って、母を探しに出掛けました。
アルツハイマー型の認知症の母
父、要介護1。母、要介護2
このブログでも何度も書いていますが、母はアルツハイマー型認知症です。
2021年1月に発症して、現在(2024年9月執筆時)に至ります。
2023年4月に要介護2の認定を受けて、それ以来、週3回のデイサービスへ通っています。
認知症は悲壮感をもって語らないこと
母が認知症だというとほとんどの人が、僕になんと言ったらいいかわからないようで、僕も母の話をした時の相手に気の毒に思うのですが、できる限り僕と母の現状は話すようにしています。
2021年1月に母の認知症に僕が気づいた時は、この世の終わりのような思いに襲われ、悲しみに暮れましたが、家族が認知症になってもそれで終わりではありません。
症状が出ていないときは、普通の母です。
その時から3年以上経ちましたが、母は今でも元気に暮らしています。
それもとても元気です。
1人で隣の街へ遠足に行けるぐらい元気です。
徘徊という言葉では語り尽くせない心の動きがある
母を探して1時間ぐらいに家に戻ると、それと同時に親戚の叔父の車が家に入ってきました。
助手席には母が乗っていて、僕に気づいて満面の笑みで僕に手を振っています。
怪訝な顔の僕の心中を母が察することはありません。
「あんた、もう帰ってきたん?」
雨にも濡れて、汗びっしょりの母
親戚の叔父に事情を聞くと、およそ徘徊の定型のようなものでした。
どういう経緯で親戚の叔父に連絡がいって、僕のところへ先に連絡が来なかったのかとか、色々と納得のできないこともありましたが、とりあえず安心しました。
母がとても大きな大きなエコバックに着替えを山ほど詰め込んで、ホームレスの荷物みたいに引きづりかけていたようです。
夏の盛りの小雨の降る夕方に、そんな婆さんをみたら誰でもおかしいと思うでしょう。
親切な人に見つけてもらえて助かりました。
デイサービスの通所の日数を増やしたい
デイサービスの効用を信じています
その日から、僕の危機感というか、母に対する介護の意識が1ステージ上がったようになり、久しぶりに今後のことで考えあぐみました。
どうするといいんだろうか。
最悪の選択は、僕が仕事を休むか、辞めるかして、家で以前のように父と母を介護するというものでしたが、僕自身は母のこと、父のことを考えると、彼らが日中に在宅することが良いとは思いませんでした。
僕は2年間のデイサービスでの経験を通じて、彼らに対するデイサービスの効用を信じていました。
母の変化を問題視しないと決めた
早速、ケアマネジャーに連絡して、母と父のデイサービスの日数を月曜日〜金曜日の週5日にしてほしいと告げました。
その時に、本当はいけないんですが、僕は母が徘徊したというわりと大きな事件を隠して話しました。
どうしてかわからないんですが、今はまだ、母の変化を問題視したくないと思ったのかもしれません。
母が1人で新しい施設へ通所するという提案
結果、要介護1の父の方の点数が足りないので、父は1日しか増やせないということでした。
要介護2の母の方は5日間、通うことができるとのことでした。
通うことができるが、現在、通っているデイサービスの施設では、利用者の空きがなく、別の施設を探すという提案を受けました。
空から光の矢の如しの名案だと思った
別の施設を探すとケアマネジャーが話してくれた瞬間に、僕は「いいかもしれない」と思いました。
なんの脈略もなく、もう一つ通う場所ができることが母のケアにとってプラスになると思ったのです。
「その施設は手芸とか、そういったものの作業があるので、お母様がもしそういうことに慣れ親しんだ方ならいいのではないかと思うのですが」
コンフォートゾーンにいたら人は落ちるという考えを持っている
ここからは僕自身のネイチャーのようなものが働いたんですが、通い慣れたデイサービスでこれまで通りのケアを1日増やすよりは、新しい環境でまた母の居所を作るのもいいのではないか。
そういう風な判断をして、新たに一箇所、デイサービスの施設と契約をしました。
もし、まだ母がデイサービスに通う前の未経験の人間だったら、息子の僕は今回の自分のような判断はしなかったでしょうが、何度も言いますが、僕はデイサービスの効用を信じています。
デイサービスは最初は我慢です。なんとか上手くいくまでは我慢です。
「ひょっとしたらウチでは難しいかもしれません」
新しいデイサービスの施設での初日の体験入所は、けっこう大変だったようで、施設の建物に入るなりに家に帰りたいと取り乱したようで電話口で先方からは「ひょっとしたらウチでは難しいかもしれません」と言われました。
「わかりました」と僕は答えました。「とりあえず、もう少し見てあげてください。どうしても難しかったら、すぐに迎えにいきますから」
それ以降、電話がかかってくることがなく、母はなにごともなく元気に帰宅しました。
「大丈夫です」と送迎をしてくれたスタッフの方が教えてくれました。「午後からは、色々なレクエーションにも参加してもらい。カラオケでも一曲歌ってみえました」
今回の徘徊をきっかけに、母が1人で家にいることはなくなりました
とりあえず1ヶ月が過ぎて、なんとか上手く行ったような気がしてます。
これまでに通っていたデイサービスに週4日。
これは父と一緒に通所します。
それから週1回の母が1人で行くデイサービス。
僕が土日は家にいるので、1週間のうちで、母が1人で家にいる時間は、もうありません。
自分の思うままに介護すること。母のため、父のため、自分のため
親戚すじのアドバイスは聞くことなかれ
母の徘徊が表沙汰になってから、親戚すじの人間から、もう母を施設に預けた方がいいという話をされました。
しかし、彼らは実際の母のことを見ていません。
母が徘徊したという事件簿だけを見聞きして、僕に、定型のアドバイス「介護する側の安全も、介護される側の安全も考えたら預けるのが一番いい」とかいっていました。
どっかで誰かが言っていた言葉のような気がして、まったく耳に入ってこない。
介護に疲れている僕のことを、本当に心配してくれる人は僕には何も言わない
また僕自身の人生を考えて、土日も介護、平日は仕事で、大変というか、可哀想というか、そういう心配でもないんだろうけど、言いたい人は言いたいことを言う。
僕自身も旅行は4年以上行けていないし、外食も母と父以外の人とは行けていない。
そういうことを僕が不満にも思っていることを少しでも感じることができる人は、僕に何も言わずに、もっと僕の話を聞いてくれる。
少なくとも「お母さんを施設に預けて楽になろう!」なんてことは言わない。
もちろん、そういうことを言われても僕は平気ですが。
介護の時間が僕を大きくしてくれている
母が認知症になってから4年が経ち、僕自身もそれなりに苦境を乗り越えてきた。
そのたびに僕はタフになり、母を、父を、守ってやれるのは僕しかいないと、心を強くしてきた。
だから、何か起きても大丈夫なんです。
いつか悲しい別れはやってくるのです。
認知症も介護も怖くない
僕の人生とか、自分の時間とか、他人が色々いうのは勝手だけど、僕自身は与えられた条件の中で、自分にできるベストを尽くしています。
このブログを始めたのも、そんな袋小路の中で、ひらめいた行動の一つです。
何もかも過ぎたあとに、何も残っていない人生なんてない。
僕自身はそんな絶望の未来をみて、介護はしていません。
認知症とか、介護とか、みんなあまりにも怖がり過ぎています。
ほんとに、色んな人に僕の母を見せてあげたい。
僕を見つけて、毎日、ニコニコと笑っている母を。
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