僕自身はインターネットに好意的な評価をしています。
インターネットについては、散々、語られてきたから、今更、何か新しい評価を付け加える必要はないと思います。
いいとか、わるいとかは、評価する人のコンディションで、その時々の感情に大きく左右されるのではないでしょうか。
この文章を書いている僕は今、わりと平穏な気持ちなので、インターネットに好意的な評価をしています。
もちろん、この先はどうなるかわかりません。
ただ、インターネットの外だけで暮らすことは、もはや出来ないだろうとも考えています。
ネットにとって幸福な10年、幸福さを忘れた次の10年。
思えばインターネットの最初の10年は僕だけでなく誰にとっても驚きと喜びに満ちた体験だったような気がします。
しかし、東日本大震災の頃から少しずつネットのおかれている状況が変わりつつあったような気がします。
その頃は、まだガラケーで、Twitterのアカウントも作ったばかりで、ネットの世界はどこか遠い、よそいきの場所だったような気がします。
いつでも入りたいときに入り、出たいときに出てこれる。
自由度の高い空間でした。
けれども、いわゆる次の10年と言える現在まで続く時間は、あまり幸福ではなかったかもしれません。
もちろん実際に何かが劇的に変わったということはありません。
劇的な変化というのは、その渦中にいるときはあまり感じないものです。
人生がほころぶ時もそういう過度な変化に自覚的じゃないときだと、今では思います。
誰もが何かに一生懸命だった気がします。
僕は自らの振る舞いが悪いとは思いませんが、物事の変化に気づけなかったという意味ではやっぱり悪い流れが出来ていたんだと思います。
行政書士事務所の開業と共に、母の認知症がやってきた
2020年10月に行政書士として独立開業した僕のもとへ、母の認知症という大きな問題がやってきました。
まさに晴天の霹靂でした。
母が認知症だとわかったのは、2021年1月です。
数ヶ月前に僕の独立開業を一緒に祝ってくれたばかり母が、年が明けると、少しずつもの忘れの症状を悪化させていきました。
それまで父のことを母が介護していたのですが、母の物忘れがひどくなるにつれて、僕一人で父、母二人をみることになり、仕事どころではなくなってしまいました。
事業の失敗。母の認知症。父の病気の悪化。八方塞がりの日々。
2022年9月に僕は行政書士を廃業しました。
あと少し頑張れば軌道に乗るというところと、今なら損切りできるというところで、悩みに悩んで、僕の出した結論が廃業でした。
何もかもがこれからだという時に、母の認知症。
父の病気の悪化。
これからどうしたらいいんだろうと毎日、思い悩みました。
廃業したところで、母を一人にしておけないので、働きに出ることもできないし、在宅で何かできる仕事もない。
フルタイムで働かないと今後の自分の生活もままならない。
八方塞がりというのはこの事だと思いました。
そうしてその悩みを、相談できる人が、誰一人いませんでした。
誰一人もいなかったのです。
たとえ状況を話したところでいい答えを持っている友人なり、親類など一人もいませんでした。
介護申請をするまでが本当に大変でした
今でこそ認知症カフェへ参加して、悩みを吐露することはできますが、そこでさえ、介護の悩みは人それぞれで、自分の求めている最善の答えはありません。
認知症カフェに参加してつながりを作ってください。
どこの誰が書いたかわからないブログ記事に助けれらた日々。
現在の僕がネットの世界に好意的なのは、僕が行政書士の廃業と両親の介護との問題に悩んでいるときに、ネットのブログ記事が一番、頼りになったからです。
僕が一番に困っているときに助けてくれたのは、どこの誰が書いたかわからないブログ記事でした。
僕の周囲に善意が足りてないとか僕に相談できる友達がそもそもいないとか、そういう話ではなく、こういう僕のような悩みは誰も助けることは出来ないのです。
そういう意味では僕はどん底にいながら冷静でした。
長い間、一人で悩んでいたので、この先は、なるべく一人にならないように今の楽しい職場を選んだし、今後の必要なお金の勉強を本格的に始めたし、何より両親の介護に本格的に向き合う覚悟を決めたのも、ちょうどその頃で、僕はありとあらゆることをネットで検索しまくって、色んなことを解決していきました。
困った時に検索したネットの中には何もかもが書いてありました。
何もかもが書いてありましたが、全てが書いてあるわけではありません。
最後は自らが考えて、選択して決断しなくてはならないのです。
『ねっとの知恵』誕生。検索を制するものは、人生を制する。
今、僕が自らネットの中に身を置こうとしているのは、その時の僕の経験が、誰かの悩みの答えにならずとも答えを導くための力になればいいなと思ったからです。
そして、僕自身も書くことで自らの思考を整理し、介護で疲れた自らの魂を落ち着かせるためにもいいと思ったからです。
この先、令和の若者の誰かが人生に悩むようなことがあれば、僕は迷わず検索するよう言うでしょう。
あるいはもっとカジュアルに、ググったらわかる、と言うでしょう。
検索を制するものは、人生を制する。
検索することには大きな可能性を含んでいます。
僕が自分のブログのタイトルを『ねっとの知恵』にしたのもまずは検索して、わからないものを自分の力に変えてほしいと思っているからです。
僕の書いたものがどこかの誰かの検索の先にあって、何かのヒントになれば嬉しいです。
そこで見つけた不確かな情報を吟味し、また検索して、自分なりの道筋をつけて、前に進んで行ってほしいと思います。
僕自身がたぶん、この先もそうしていくと思うから。
言いたいのは、これだけ。
僕自身の介護に関していうと、誰も助けてくれないですし、一番の解決法は自分が強くなることです。
そのためには誰よりも多くのことを知らないといけないし、短時間に多くのことを知るにはやっぱりネットの中にいる誰かに頼るしかなかったというのが僕の見解です。
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