認知症の進行のスピードにおびえる日々
2024年11月24日(日)の現在地/母と散歩に出かける
今も週末の朝は、母と二人で近所を散歩しています。
前回の記事で、母の現在地として、二人で散歩をしていることを書きましたが、あれから7ヶ月経った今でも、母と僕、そして父も含めて健康的に暮らしています。
そして母の認知症の進行のスピードに怯えながらも、着実に日々を刻んでいるということを報告させていただきます。

現在3年11ヶ月
2021年1月頃に認知症を発症した母ですが、あれから現在2024年11月で、来年で5年目を迎えます。
僕の感覚でいうと、進行は本当に緩やかです。
アルツハイマー型認知症の母の進行の具合
最初の1年は在宅のみで、介護申請もせずに身の回りの世話をするだけだったので、やはり進行は早かったと思います。
一緒に暮らしているので、それほど進行の具合を察することがなかったということもありますが、やはり母が認知症になったという事実をまだ完全に受け入れられなかったからだと思います。
母の進行が緩やかになったと感じられたのは、やはり介護申請をして、デイサービスへ行くようになってからです。
介護生活は少しずつ慣れていく
デイサービスの効果
現在の母は月曜日から金曜日までデイサービスに通っています。
そのうちの4日は父と一緒に通っています。
父は介護認定1なので、母ほど手がかからないのですが、それでも自立して生活ができないので、母の介護申請をするときに一緒にしました。

介護の方法は日々、アップデートされる
デイサービスに通うことでの母にあらわれる効用は的面で、日中に家を出る習慣ができたことで、生活にもメリハリができて、すごくイキイキとしています。
もちろん、それでも認知症の症状も同時にあらわれるので、その都度、ケアマネージャーさんとヘルパーさんとの相談の上、介護の方法をアップデートしてきています。

介護離職と生活の立て直し
その間に、僕も介護離職して、再就職してという介護者にありがちな人生のシーンを繰り広げていましたが、今はなんとか落ち着いています。
もちろん、親族などは母を施設に預けろと、なにかある度に僕に迫ってきますが、今はまだ彼らの言葉に同意するにことはないでしょう。
彼らの言い分はあくまでも自らの立場の問題を提起してくるので、話になりません。
介護申請をする際にも親族から干渉を受けました。

介護申請をする意味
こちらは市町村の公の介護申請を受け、社会福祉協議会、ケアマネージャー、デイサービスの施設、ヘルパーステーションを通じて、開かれた介護をしているのです。
親族がいきりたって、自分達の都合で主張をしたところで、ガッチリと組み込まれた介護生活の現状変更を簡単ではないでしょう。
こういう時の抗弁のためにもやはり介護申請をして、多くの専門家と繋がっておくことが大事です。
様々な専門家の話を聞いて、自分なりの介護に対する考えをしっかりと持つ
マンガ認知症【施設介護編】
それでもいつかはその時がやってくるわけだから、僕は今のうちからしっかり色んな心構えをしている。
その一環で色々な本を読んで勉強をしている。
最近は、『マンガ認知症【施設介護編】』の中の小島美里さんの話がとても参考になりました。
彼女のような専門家がもう少し身近にいて助言をいただけたらどんなにいいだろうと思います。
信頼のおける介護の専門家を見つけること
専門家の話を読んでいると、やはり介護に関する考え方が洗練されているので、介護の方向性で僕と違う意見を持っていても、とても参考になる。
この小島美里さんは特にすごくてたくさんの患者も家族もみているから、色んな事象を心得ているから、おそらく相談する家族は少し話せば現状を理解されるから安心ができるんだと思う。

ちなみに僕は一つもあてはめらなかった
小島さんの話の中で「在宅介護の限界はいつか」という部分で触れられている箇所がとても印象的でした。
- 介護していて死にたくなる
- ここからいなくなりたいと思うことがある
- 介護している相手に腹が立ち手をあげたくなる
- 介護する相手を殺してしまいたくなる
この中の一つでも当てはまる場合は、施設入所を考えるべきだといいます。
わかりやすくて、いい指標だなと思いました。
『あなたはどこで死にたいですか?』
小島美里さんの本でもう一冊、『あなたはどこで死にたいですか?』という本も、認知症介護の難しさと介護サービス制度の見直しについて書かれていて、今後の介護の参考になると思います。

認知症の患者が一番悲しいことを理解して、介護と向き合うこと
認知症初期の患者とその家族
なぜ、今回のような記事を書こうと思ったかというと、先日、母の通う脳神経外科で、ある家族をみたからです。
僕は母を定期的な脳テストのためにクリニックを訪れていたんですが、その家族は初診で、バインダーを渡されて問診票を書いていました。
問診票を書く患者の母の横では、息子と娘がいて、息子が終始、母親に強くあたって「なんでや」とか「違うやろぉ」とか尖った声で囁いていました。
認知症の孤独を理解すること
僕自身は隣で聞いていて、やはりその息子より母親が可哀想だなと思いました。
僕自身も母の認知症を受け入れることができませんでしたが、やはり僕の場合よりも、母自身が何もできなくなる自分を受け入れることができずに、認知症の初期は随分と台所で泣いていました。
その都度、僕は母の肩をさすって、「大丈夫やから、俺がずっとついとるから」と励ますだけでやっとでした。

認知症を受け入れるところからはじまる
そう考えると、やはり認知症の患者の息子には僕は同情ができずにいました。
彼もおそらくこの先、母の認知症を受け入れて、母にやさしくできると思います。
色々な本を読んで、認知症の人のみている景色や孤独をきちんと学んで、自らを強くしていくしかないと思います。

認知症への理解がとぼしい社会
それとは別に社会に対してはもう少し認知症に対して、啓蒙していくべきだとは思います。
アルツハイマー型の認知症の患者が少し家の近所を出歩くだけで、徘徊と言われて、施設に入れないといけないと言われると介護している家族はその地域では生きていられなくなります。
あるいは一人で歩いていては危ないというときに必ず言われるのが、「車に轢かれでもしたら大変だから」ということだけど、歩行者が車に轢かれたらそれはドライバーの責任だろうと思うんだけど、どうなんだろう。
いずれにしてももっと認知症への理解が広まることを願っています。
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