脳科学者の恩蔵絢子さんの『脳科学者の母が、認知症になる』という本から学ぶこと。

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母がアルツハイマー型認知症になった

2025年2月、母の現在地。まだまだ大丈夫。

母が認知症になってから、今年の1月で丸4年が経ちました。

5年目になる2025年の今、母はまだまだ元気で、週5で、デイサービスに通っています。

もちろんここまで来るまでは、非常に苦しい日々がありました。

介護は決して、綺麗事だけでは語れません。

ただ、今は、母も僕も安定していて、毎日、デイサービスから帰ってくる母を迎えることが僕は嬉しい。

この安心ができる限り長く続けばいい。

認知症はあらゆるものを奪っていく

母の認知症になってから、いろいろなことがありました。

母を脳神経外科に連れていって、診断をしてもらうことからはじまり、僕自身も介護離職を余儀なくして、母も父も介護認定が必要なくらい自立した暮らしを送れなくなってしまいました。

40歳半ばにして、人生が立ち行かなくなりました。

以下に介護離職した頃のことを書いています。

日暮れがやってくると母はおかしくなる。

とにかく母の症状はどんどん進行していきます。

夕方になると母は、家に帰ると言い出します。

それから、「あの子らは?」と家にはいない筈の子供たちの行方をたずねてきます。

ワンオペで誰にも助けてくれなかったからこそ陥る心境

最初はとても戸惑いました。

とにかく母が母でなくなる瞬間に立ち会うわけだから、僕の心も乱れます。

家族が認知症になったら、もう終わりだと多くの人が思うのは、こういう局面にありますが、それはひとえに認知症に関する知識がないからです。

親族より、友人より、ドクターより、頼ることができるのは『本』である。

とくに僕の母が患っているアルツハイマー型の認知症に関しては、広く語られている症状の例を知ることで、多くの不安を回避することができる。

その頃から僕はたくさんの認知症に関する本を読みました。

このブログでも以下の本の感想を書いています。

家族が認知症になったら、読むべき本について

『脳科学者の母が、認知症になる』恩蔵絢子著

今回、紹介したいのは、脳科学者の恩蔵絢子さんの『脳科学者の母が、認知症になる』という本です。

これは以前に読んだ『マンガ認知症』という本で、著者のおすすめの本という形で紹介されていたもので、僕自身はとにかく、認知症に関して、多くを知りたいという欲求が大きかったので、続けざまに読みました。

先日、久しぶりに読み返してみて、あらためて、認知症の家族を介護する上で、知っておく大切なことが書いてあると思いました。

母は、母でなくなってしまうのだろうか?

母が認知症になった時の僕の不安というか、恐怖に感じていたのは、たった一つです。

「母は、母でなくなっていってしまうのだろうか?」

この不安に対して、この本は明快に答えてくれています。

母らしさや、母の本来のやさしさのようなものを感じる

僕自身が母を介護していて、現在4年を経ましたが、母が母でなくなるという症状はあっても実際に、母が母でなくなるということはありませんでした。

さまざまなことができなくなるという段階を経て、認知症に対する不安と恐怖を感じた介護1年目2年目よりも、4年経った現在の方が、母らしさや、母の本来のやさしさのようなものを感じることができます。

僕自身が認知症の母に慣れたというのも大きいですが、やはり大きいのは本質的に母の感情を生活の中で感じられるからだと思います。

「感情」は消えてなくならないというのは大切なポイント

認知症患者において「感情」という言葉を使って、それが消えてなくならないということを恩蔵先生の本では書かれているから、母の介護をしているときにもそのことを意識して、母と接することで、どんどん不仲のようなものは解消されていき、現在では母と僕は新たな関係を築きつつあります。

そのことをとても無自覚に過ごしていて、そのことの大切さに気づかなかったのですが、この本を読んだことをきっかけに、「母は母である」ということを意識するようになり、僕自身の精神衛生もそうなんですが、デイサービスへ通う母のことを、しっかり支えることができるようになったと思います。

初期の絶望をまず解消しないと生活は戻らない

それまでは認知症になった母のことを軽んじていたんだと思います。

デイサービスへ行くのも、家族の(僕の)ため、日中誰も面倒を見る人間がいないから仕方なく通わせているという意識があり、認知症の母について、終いをただ待つ人だという風に捉えていたんだと思います。

極端な表現ですが、家族が認知症になったと聞いて最初にあらゆることを想像して絶望する人は、多分まだその段階の理解なんだと現在の僕は感じます。

そして付け加えておくと、初期の絶望は間違った絶望、正しくない悲観です。

これは認知症だけではないですが、最悪の状態でも、人生にはやること、やれることがあります。

母の症状の一つひとつがこの本に書いてあった

「介護は最初の3年が辛い」という名言に現在の僕は支えられている

4年間の認知症の母と暮らして思うことは、母は母らしく毎日を過ごしていて、さまざまな認知症の症状を理解することで、一つひとつの不安や恐怖は乗り越えられるということです。

そのことに気づくのに1年、2年か、あるいは3年はかかりました。

もっと早く、こういう知見のある本に出会いたかったと思いますが、介護にかける時間は必要だったのかもしれません。

小説家の山口恵以子さんが『いつでも母と』というお母さまを看取ったときのメモワールを綴った本にも書いてありますが、「介護は最初の3年が辛い」というのは本当で、僕も最初の3年が本当に辛くて、苦しい時間でした。

先人の書いたものから学ぶこと

苦しまない介護はないと思うので、ここはやはり当事者は悩み、乗り越えていかないといけません。

しかし、助言としてはやはり先人の書いたものを読む価値はあるということです。

恩蔵絢子さんの『脳科学者の母が、認知症になる』を読んだら、僕の母のアルツハイマー型認知症の症状のことがとても詳しく書いてあって、これは典型的な認知症なんだと思い、そこから理解が加速して、とても生活が向上したのを覚えています。

『脳科学者の母が、認知症になる』恩蔵絢子著

母の症状の一つひとつがこの本に書いてあった

家にいるのに家に帰りたい。

小さい子供がいないのに、「あの子らがおらん」と探したり。

僕は夜中、母と一緒に子供時代の僕自身を探したり。

服装も全て、テーブルやソファに並べていて、そこから自分で選んで服を着る母。

そういうことがアルツハイマー型認知症の症状だと知ってからは、母の言動にあらがうことがなくなりました。

僕なりの対処の仕方

家にいながら、家に帰りたいと言われたら、「送ったげるわ」と言って母を車に乗せて、ドライブに出かける。

そうすると自宅に戻ってくると、「ありがとう、ありがとう」と言って機嫌よく家に落ち着く。

子供がおらんと言われても、「うちに子供はいない」と言ったりはせず、一緒になっていない理由を考える。

服装はある程度、これを着るだろうと想定してテーブルの上に置いてやるといい。

僕にはまだ母を失う覚悟ができてない

認知症の母の介護はまだこれから先がある

もちろん、ここまでやっても認知症の母を失う不安は決して消えません。

僕にとっては、認知症の母の介護はこれからです。

アルツハイマー型認知症は緩やかに進行する。

特に母のように高齢者はとてもゆっくり進行する。

現在、5年目でまだ毎日、デイサービスに通えるほど体力もあり、1人で置いておくと、どこまでも遠くへ散歩へ行ってしまう。

徘徊という言葉は使いたくないが、母もやはりその道を通っています。

以下にその時のことを書いています。

僕はまだ母を失う覚悟ができていない

今はまだ1人で、トイレも行ける。

もちろん、トイレの場所を教えてあげないといけない。

台所での仕事も手伝ってくれる。

しかし、少しずつ少しずつ母は進行している。

今はとても、元気で朗らかな母だけど、認知症は不治の病である。

色々な先人の本を読んできた僕にはこのあと母がどうなるかわかっている。

僕はまだ母を失う覚悟ができていない。

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